学校教育

2015年4月29日 (水)

和綴じをした

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昨年度まで作る側だった書類を,今年度は受け取る側になった。ここ数日はその整理を行っており,「和綴じ」というものを生まれて初めてやった。

和綴じとは,中国で発祥した製本技術が平安時代に日本へ伝わり,独自の発展を遂げたもの。印刷技術が入ってきた江戸時代に最も発展・普及したらしい。

畳針とたこ糸を使い,(おそらく)四つ目綴じという形式で30部を製本。仕上がりはとても頑丈でホチキス止めとはまるで違う。きれいにできたときの達成感はなかなかだった。

デジタルも便利だが,アナログもいいものだ。

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2011年8月 1日 (月)

気仙沼への派遣終了&研修会目白押し

110801 5月6日から毎週金曜日、気仙沼へ災害派遣に行っていたが、7月29日をもって終了となった。子どもたちが夏休みに入ったからである。
合計12回で、すべての幼稚園・小学校・中学校、そしていくつかの避難所を訪問した。校長先生や園長先生の話を聞くたびに感銘を受け、いつの間にか自分が長期研修員の気持ちになっていた。快く訪問を受け入れてくださった各校に心から感謝したい。
※写真は、和歌山県那智勝浦町からの支援物資*

7月の最終週は、3連続で講義があった。
一迫の「情報モラル教育のあり方」、初任研の「情報リテラシー」、新任事務研の「情報管理のあり方」と、資料作りに追われたものの、何とか乗り切ることができた。
気仙沼市へは『iPod touch+D25HW』、研修へは『Panasonic CF-R8+D25HW』を携えたが、いつでもどこでもインターネットにつなぐことができる環境は素晴らしい。ちなみに、すごく使ったと思われる7月の使用パケット数は約200万パケット。またしてもバリューデータプランの無料通信分内であった。

今週は、「ホームページ作成基礎研修会」がある。HP作成ソフト『ホームページビルダー』とCMS『NetCommons』の特長を比べながら、両方の基本的な技術を身に付けてもらう予定である。

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2011年6月26日 (日)

学校にくる動物たち

110626 学校という場所は、さまざまな動物たちがやってくる。
真冬に、教室に飛び込んできたのはウグイス。ウグイスは冬もいるということや、ウグイスの色は緑ではなく茶色だということを手にとって説明することができた。
来てほしくないのに見つけてしまうのはヘビだろうか。体育館の手すりにからまっていたり、体育倉庫の綱引き用綱の上にとぐろを巻いていたり、プールをすいすい泳いでいたり、けっこう目にする。

気仙沼市で仕事をしたとき、話題の「大きなハエ」にお目にかかった。びっくりするほど大きく、ぶつかると痛いほどである。そう言えば、以前話題にした新田第一小学校もハエが多い学校だった。『My ハエタタキ』を持ちながら授業をする担任。ハエが給食に入らないように、配膳された給食に慣れた手つきで次々にティッシュをかける子どもたち。教室にぶら下がる業務用のハエ取り。PTAの好意で教室の窓に取り付けられた網戸。赴任したときはあまりの多さに閉口したが、大きさはいわゆる普通サイズで、今思えばかわいいものであった。

近くの牛小屋から逃げた牛が校庭を走り回っているので一緒に走ったり、校舎に入り込んだ犬を外に逃がそうと追いかけたり、夕方になるとコウモリが廊下を飛び回るので網で捕まえたり・・・。やってくる動物たちへの対応で忙しかった時代が懐かしい。

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2011年6月10日 (金)

はまなすステーションから眺めてみた

11061001 6回目の気仙沼市訪問。今日は午前中、大谷小と大谷中に行ってきた。校長先生にカリキュラムの進捗状況を聞きながら、授業の様子を拝見する。400mトラックが作れるほど広かった校庭一面には、仮設住宅186戸がびっしりと立ち並んでいた…。

11061002_2 学校を出て、日本一海水浴場に近い駅 JR気仙沼線「大谷海岸駅」と、道の駅 「大谷海岸」が一つになった観光施設「はまなすステーション」に向かう。今にも崩れそうな階段を上り、展望台に立つと、眼下に広がるのは変わり果てた大谷海岸と駅だった。

【南】日本の水浴場55選にも選ばれた大谷海岸は、子どもの頃よく泳ぎに来た場所。どこまでも続いていたはずの砂浜はほとんど消えており、すぐそばまで波が打ち寄せる。
【西】気仙沼線の線路は寸断され、大谷海岸駅は跡形もない。
【北】高さ18mまで津波がせり上がっていったらしい。
【東】線路は跡形もなくなり、猫の額ほどの砂浜だけが残る。

今冬は、シノリガモやコクガンが来てくれるだろうか。所々色が変わった海を眺めながら、そんなことも考えた一日であった。

【本日の観察種】
ウミネコ、ハクセキレイ、オオヨシキリS

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2011年6月 3日 (金)

災害記念碑

110603 今日は5月27日にNHKで特集された大浦地区を抜け、気仙沼市立浦島小学校を訪問。水が昨日やっと出たそうだ。三ノ浜地区まで足を伸ばし、車を停めた目の前には2つの地震津波を後世に伝えるものが建っていた。

明治三陸地震津波は、明治29年6月15日の夜。マグニチュード8.2の地震で引き起こされたは津波によって、流失や全半壊した家屋は1万戸以上だったそうだ。看板には津波の高さが赤い線で表示されていた。

昭和三陸地震津波は、昭和8年3月3日の夜中。規模はマグニチュード8.1。石碑に刻まれた「大地震 どんと沖鳴り そら津浪」が当時の状況とその恐ろしさを物語っている。

津波体験の風化を防ぐ啓蒙手段の一つとして建てられる津波記念碑を見ながら、当時の様子を想像した午前中であった。

【本日の観察種】
ウミウ、ウミネコ、イソヒヨドリ♂、ハクセキレイ

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2011年5月29日 (日)

気仙沼大島に行ってきた

11052601 気仙沼市立大島小学校の避難所の様子を見るべく,エースポート(発着場)からカーフェリーに乗って大島へ渡った。陸に打ち上げられた船,燃えた船,サルベージ船,そしてまだ油の浮いている水面。海から見る気仙沼は,陸にいるときとはまた違った顔を見せる。

着いてすぐに歩いて大島小学校へ。被災地にスーツ姿という,どう考えても違和感ある服装の二人に,道行く方々は「こんにちは」と明るく挨拶をしてくれる。「何しに来たんだ?」という目を覚悟していたが,そんな心配はいらなかった。

大島小学校の避難所はすでに閉鎖されていたので,各学年の授業を拝見。子どもたちも先生方も元気に挨拶をしてくれ,心が温まる。この日は二つの行事が入っていたのでそれも見せてもらうことができた。
一つは,神奈川から派遣された医療団と,東京から派遣された薬剤師さんとの合同チームを送る会。この2か月,本当に苦労されたと思う。心のこもった,よいお別れ会だった。
もう一つは,日本図書館協会による読み聞かせ。本の読み聞かせだけでなく,紙芝居やパネルシアターなど,趣向を凝らしたものであった。

11052602 「給食も一緒にどうぞ」という校長先生の申し出を丁寧に断り,浦の浜へ戻る。倒壊した家屋や電柱の向こうには青く静かな海が広がっており,3月11日に牙をむいた同じ海とは思えないほど穏やかだった。打ち上げられたカーフェリー,つぶれた車,がれきの山を見ながら浦の浜より出航。地元の漁師さんや徳島県から来た方と話をしながら海を眺める。

自分にできることがもっとないか,これでいいのか,などと考えながら。

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2011年5月24日 (火)

栗駒山の駒

110524 震災の影響で例年より遅れているようだが,今年も田植えの季節となった。登米市の伊豆沼三工区から望む栗駒山にも,田植えの時期を告げる駒(馬)が,残雪によって形作られている。(山の左端に右を向いている)

新田第一小学校に勤めていたときは,2階廊下から毎日,栗駒山と伊豆沼を眺めていた。5年半前の冬,耐震検査の結果,校舎が突然使えなくなり,新田中学校の教室を借りて3か月間授業した。その後,中学校の敷地内に建てられたプレハブ校舎に2年間住んだ。自分たちの校庭も体育館もプールもすべて中学校の施設を借りるいわゆる間借り生活は,けっこうつらかった。

危険校舎と認定され,心の準備をすることなく放棄せざるを得なかった校舎は,大震災の前に取り壊された。今回の地震を耐えることができたかどうかは,今では知るよしもないが,もしあのまま使っていたら・・・と考えてしまう。

雪の中,慣れ親しんだ校舎を後にし,泣きながら2km離れた中学校に歩く子どもたち。それを取り囲むたくさんのテレビカメラ。教室で子どもたちの不安を必死に取り除こうとする自分。被災地の映像を見るたびに,その時の思い出がよみがえる。でも,受け入れてくれた中学校の生徒はみんな優しかったなぁ。体育の授業や学校行事で快く施設を開放してくれた新田公民館もありがたかった。

更地となってしまった新田第一小学校跡地に久しぶりに行ってみたい。そして,栗駒山と伊豆沼をセットで眺めたい。たくさんの人に支えられた感謝の地だから。

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